元スレ
1 :名無し三等兵:2016/04/23(土) 23:58:23.34 ID:PoPQHH/z.net
軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/
参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm
2 :名無し三等兵:2016/04/24(日) 00:00:16.44 ID:KP4nlS3j
3 :名無し三等兵:2016/04/24(日) 07:04:37.58 ID:IKm4HD1z
4 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 14:23:25.50 ID:/4tV27V3
なんか過疎ってるなー
あ、そうだ
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊では銃兵はパイク兵の援護下にあったけど
カウンターマーチをするときってパイク兵ってどこにいたの?
銃兵の後ろにいたらいざという時に銃兵を守れないしかといって銃兵の前にいたらカウンターマーチのじゃまだし
5 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 14:56:56.66 ID:K6cFWWVc
パイク兵は両脇や後ろにいて必要な時に前に来る(銃兵が後ろに下がる)で何が問題なのかさっぱりわからん
6 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 16:38:38.96 ID:QW4vOSpv
いざというときとは言っても、例え騎兵突撃でさえも隊形変換する余裕は有るかと
タイミングを読み間違えたとかなら別だけど
7 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 17:15:22.97 ID:K6cFWWVc
重装騎兵の衝撃力失った17世紀の騎兵じゃ十分余裕あるわ。ただしポーランド除く
8 :名無し三等兵:2016/05/11(水) 22:44:27.62 ID:GI5B+jdQ
スウェーデン式戦隊でパイク兵が正面の場合後方のマスケット銃兵との距離は通常50歩幅とあるけど一歩幅を0.5mとしても25m離れてることになる
更に後方に予備のマスケット銃兵が左右に展開できるように配置されてるとはいえ
離れすぎな気がするんだけど良いんだろうか
9 :名無し三等兵:2016/05/12(木) 14:27:28.05 ID:/h/TbcBG
大きく感じるけれど、隊形変換等の機動を考えると必要なのかもね
ナポレオン時代でも、大隊(横隊)や中隊の間隔は、横方向は余り離れていないけれど、縦方向は旋回の余裕を取るためか結構離れているし
(縦隊は横方向も結構離す時も)
10 :名無し三等兵:2016/05/18(水) 23:09:30.49 ID:fZonTZFx
スウェーデン大隊やオランダ大隊って6列横隊でカウンターマーチするときどのくらいの距離から射撃開始してたの?
スウェーデン式大隊が「充分に近づいた上で」3列横隊に展開して一斉射撃で隊列を崩すっていう説明を見て気になったんで
11 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 07:32:27.66 ID:esp2IosJ
近世について調べ始めたばっかりの人だけどナポレオン軍ってなんで強かったの?
7年戦争であそこまで強かったプロイセン軍がコテンパンにやられた理由を知りたい
12 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 12:27:26.76 ID:Fy9tkfTT
7年戦争でプロイセン軍がそこまで強かったイメージがない
13 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 19:14:13.54 ID:RN296Yoz
7年戦争のプロイセン軍は際どい勝利のイメージ。
ナポレオン軍も結構際どい勝利だよな。
14 :名無し三等兵:2016/05/26(木) 22:51:54.28 ID:QqyJ/QX6
数が多い、戦死者が出てもひるまない→それに応じた戦術が採れる
かなあ?
19 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 03:24:36.38 ID:m3jOdBm+
>>18 士気じゃない、金の問題が大きい
封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う
で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた
16 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 19:04:55.72 ID:mI2KDQdm
>>11 徴兵か徴集の違い
徴兵は町と村ごとに人口の〇%を何年間か軍隊で給料払って訓練する
活躍すれば将軍になれる(少なくともナポレオン軍は)
徴集は戦争の度に必要な人数を雇って戦いが終われば解散する
徴集だと最初に契約金を貰ってあとの給料は戦況次第(つまり勝ち続ければ分け前があるけど負ければ分けるもの自体がない)
しかも怪我しても何の保障もないし、そもそも基本給が低いから、みんな命をかけたがらない
酷いと現地で部隊が解散するから自腹で帰らないといけないwww
17 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 19:45:20.32 ID:epYUH6WG
封建制も後期の頃は、徴兵による国家の常備軍(長期兵役)が主流だよ
選抜的徴兵+長期兵役(時には10年を超える)を背景にした封建軍の強さ・高質さ、
ってのは仏革命政府の軍隊編成やエピソードでも歴然としてる
プロイセンの「徴兵制度による超大規模な国家常備軍」とか有名じゃんじゃん
18 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 01:16:13.08 ID:R7ornnME
それでも国民軍の異常な士気の高さには勝てなかったからなあ
15 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 00:06:44.66 ID:+Jefcif9
本質的には、封建国家と国民国家・近世と近代 という国家体制上の時代格差だと思うのさ
封建からの脱却に伴う国力の拡大、中央集権による国力全ての戦争経済化、ナショナリズム
を背景にした国民・兵士の高い士気、古い体制に囚われない軍事改革など‥
ここら辺、例えば中世末期の封建・分権国家に対する絶対王政国家の優越とかと通じる話だね
20 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 03:50:33.70 ID:4SwKkv19
>>19 >で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた
言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内?
国外?
イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。
肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故?
> 封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
>共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う
イギリスは何制?
てか、過小評価されがちなイギリスの先進性、(評価最高の海軍は兎も角)特に陸軍のそれがよく分かるよな。
ワーテルローはナポレオンの記念地ではなく、ウェルズリーの記念地。
21 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 09:10:31.66 ID:ylgiHKQr
横からですが
>>20 >言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内外の金持ちからでは
今現在各国でやってるのと同じでしょう
>イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。
>肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故
フランスの信用度がイギリスのそれより低かったからでしょう
平たく言えばイギリスの方が、借金の返済がスムーズだったということで
あとまあ、中央銀行やら証券取引所やらの出現もイギリスのほうが早く
>イギリスは何制?
立憲君主制ですな
とりあえず名誉革命以降、予算の決定とか国債の発行認可とかは議会の専権事項だったとか
22 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 11:13:13.77 ID:Y0J2rcAb
ナポレオン戦争時、イングランドは軍事費の半分以上を国債で賄っていたことはあまり有名じゃないのか
23 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 11:46:44.60 ID:m3jOdBm+
>>20 アジアやカナダ、南アフリカなどの植民地で活動する商人は、地元に金融市場がなかったのでロンドンで資金調達と余分な資金の運用をしていたのです
また、国内にも貴族がいます
ですから国債を買いたい人がいたわけです
ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
イギリスは立憲君主制の志願兵制
つまり近衛騎兵連隊に代表される王様のエリート部隊と食い詰め者(貧乏人)の併用
だから優遇されてる部隊と一般部隊の待遇は段違い
イギリスが伝統的に歩兵用ライフルがショボいのも立憲君主制だから
24 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 11:56:28.46 ID:Y0J2rcAb
>ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
絶対王政の時代のフランスは国債まともに整備できておらずナポレオン期の方が取引されてるのを知らないようだ
あと、革命初期に貴族層粛清した結果それまで英海軍に対して優位であった仏海軍(七年戦争の戦訓からブルボン朝は
海軍を強化し米独立戦争でも英海軍をけん制していた)が弱体化し、その結果海外市場も弱体化している
25 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:00:16.74 ID:m3jOdBm+
イギリスの資金調達は永久債というのが有名で、金利だけ払うという国債が発行された
これは元本は返さないけど金利は永久に払うというもので
例えば1万ポンド永久債を5%で買うと毎年500ポンドいつまでも貰える
イギリス政府が元本を返すと、契約終了(返済完了)
26 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:23:13.00 ID:Y0J2rcAb
ナポレオン戦争期にはコンソル債使ってなかったと思うけど
27 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:26:41.61 ID:CnOOhqmw
このころの社会システムとか全然知らんけど傭兵の値段も安くなったよね。
1600年のスペインが植民地も含めた動員数15万でヒーヒー言ってたのに
18世紀のフランス軍はその倍以上の数を維持できてたもんな
28 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 12:30:39.00 ID:m3jOdBm+
>>24 いや、国債はそもそも「あんまり必要なかった」のが事実
何でかというと、当時の王様や貴族の買い物はツケが効くから借金する必要がなかったし、公共事業もしなかったから
29 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 13:40:38.84 ID:IyTsFi/q
>>27 スペインじゃなくカスティーリャ王国の軍隊だったからな
統一国家だったらまた違ったかも
30 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 17:33:15.69 ID:lk+z/N11
>>28 ツケ自体が負債じゃね?あと、結構借金してるぞ。国王個人に対する借金だから代替わりやらなんやらの時によく帳消しにされたが。
なのでリスクが高くなって金利が上がる→返済額が膨れ上がって帳消しにされるリスクも上がるになったが
あと国債の代替として売官もあったような。気軽に買い戻せないわ金利代わりに給料払わないといけないわ
買った方は金儲けにいそしむからいいことろくにないけどまとまった金が手に入るからやめられなかったらしい
31 :19:2016/05/28(土) 18:07:11.07 ID:sjhHHZnG
>>30 ツケは商人からすれば個人相手の売掛け金だろ?王様からすれば商人1人を裏切っても何も怖くない
で、国債は証券化(切り分け)された債権だから会社や個人同士で売り買いできる
つまり流動性(いらなくなったら売れる)がある
で、流動性があると金利は下がる
仮にイギリス国債がデフォルトしたら国内外の金持ち数千人がイギリス政府に恨みをもつリスクがあるけどね
32 :19:2016/05/28(土) 18:14:55.15 ID:sjhHHZnG
官位の売り買いはヨーロッパだけでなく日本でもあるな、樋口一葉の父が同心の位を買ってる
中国もそうだし、現代でも「民営化」と言って水道公社を買収して事実上の「買官」してるような国がある
33 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 18:42:44.59 ID:Y0J2rcAb
国王が金借りる規模の商人て国内で最も有力な商家だったり、都市国家経営してるレベルなんで
国王が踏み倒すと踏み倒しでなくなる債務の額どころでない被害が国家に出たんだけどね
有名どころだとスペインに金貸していたジェノヴァがスペインの度重なる破産でスペイン援助から
手を引いた結果、ネーデルランドが独立したりと
36 :名無し三等兵:2016/05/28(土) 18:57:04.07 ID:aFJfEKfx
>>27 18世紀の中期以降は選抜徴兵制が欧州各国で始まってるし
37 :19:2016/05/28(土) 19:12:57.26 ID:m3jOdBm+
40 :名無し三等兵:2016/06/02(木) 20:41:40.34 ID:o/G1AF2M
大昔の革靴は食べようと思えば不可能ではないってレベルで
近代の革靴は加工時に使う薬品が人体に有害だった気が
中世の時点で皮の加工に砒素使うことあったから革製品食べるのはよした方が
43 :名無し三等兵:2016/06/03(金) 20:43:49.97 ID:bN28CLn1
「戦争論」は現代の軍事研究のバイブルであると同時に日本語で手に入る近世の戦争を研究した最高の本だからな
48 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 13:06:46.20 ID:AyrV8reN
とある幕末日本を扱った海外産RTSではガーズを護衛隊と訳しててはじめ意味がわからなかったな
まあ「double times」を「ハイノハヤサデ-」とやらかしたり色々楽しいゲームではあったんだが
49 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 18:54:35.81 ID:VDmFtzLl
逆に旗本とか御家人が海外でGardsなんて訳されてる可能性はないのかのう。
52 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 21:32:08.57 ID:iaQSYBjU
江戸幕府の将軍近衛といえば小十人組かな
お揃いの制服(危急の際は将軍も同じ羽織を着て見分け付かなくするため)で常に帯同、
平時は将軍の警護+個人的なエージェントとして国内各地に派遣されたり‥
と一般の旗本御家人とは毛色が違う
61 :名無し三等兵:2016/06/21(火) 18:37:51.89 ID:8c1vFxi1
ヤン・タルノフスキはマウリッツにどんな影響を与えたんだろう
62 :名無し三等兵:2016/06/29(水) 19:06:58.09 ID:sjG3R1pr
カウンターマーチってマウリッツ以前から似たようなことが行われてたっぽいし
マウリッツも西ヨーロッパの既存の戦術をまとめただけで特に影響とかなくても不思議じゃない
94 :名無し三等兵:2016/07/26(火) 18:11:06.61 ID:3KPTln1J
>>93 いや、肝は先とがりではなく、後ろの凹みだから。
不思議に理解されていない?
139 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 17:14:55.04 ID:eG9z69oE
種子島の銃口とブランベスの銃口みると銃身の分厚さが物凄く違うけど
18世紀のマスケットの銃身ってどうやって作ってたの?
194 :名無し三等兵:2016/11/19(土) 18:48:49.79 ID:7jrw7bFu
胴と兜だけは世界的な流れだけどね
胴と兜以外の鎧は銃弾に耐えられる様に作るの難しそう
221 :名無し三等兵:2016/11/25(金) 11:48:51.73 ID:uj9CFdg+
南部藩は幕末に藩を挙げて硝石産出に励み、古土法により年最大28tを生産。
加賀が江戸中期に年産4.5t、幕末には最大年50tまで産出量を急増。
古土法は数十年土を休ませる必要がある。南部の硝石は幕末期の総生産高が
4万貫=150t程度と目されている※。古土法による安定収穫を30年周期とすれば、
150÷30=5t/年。日本全体の人口を、江戸後期で3000万・戦国で1000万(±20%)と推計。
江戸後期 南部藩の人口は約35万人。
単純に人口比を当てはめれば、江戸後期=5t・90倍=450t、戦国5t・28倍=140tが
国産硝石の安定生産量限界と目される。って感じかなぁ‥
※南部は産出開始が1848年と遅く、維新後は産出量がほぼゼロに戻ってる。
少な目に、幕末の4万貫で古土が払底したと見積もり。
396 :某研究者:2017/09/18(月) 22:11:04.95 ID:ZV024UBL
419 :某研究者:2017/09/20(水) 15:23:55.54 ID:REZA4AM/
>イギリスのイチイで作ったロングボウの最大の張力は175ポンド(80kg)あったようです
中世の平均的なロングボウの張力は36kgだったようです。
>ある資料だとモンゴル兵の弓は張力約166ポンド・約75kgだそうで、
イングランドの平均的なロングボウ(推定張力68〜72.5kg)とほぼ同等かやや強いくらい。
ただしモンゴル兵は短・長2種類の弓を所持していたとの記述もあって、
そのどっちの張力のことかは分からないけど。
和弓もだいたい張力40〜70kgが多く、馬上弓はほとんどが張力40〜50kgだそうだ。
ポーランドのパンセルニの弓もモンゴル同様に
張力75kgの物が多いのかだが
510 :某研究者:2017/09/21(木) 23:24:23.89 ID:3IilYpol
601 :名無し三等兵:2017/10/13(金) 02:32:39.88 ID:sKyns19Z
>>600 忘れてた、日本の火縄銃との比較
口径:バラバラ そもそも兵ごとに装備してる銃が違うから当たり前だけど、11mm(二匁半)から18,5mm(十匁)がその範囲 もちろん射程も威力も隊によって違ってくる
重量:歩兵用の銃としては2-10kgが一般的 二匁半の短銃身の小筒なら1に満たないものもあるが、だいたい4-7kgぐらい
まあ、まともに比較できるような資料じゃない。 どこの誰と比べるかで結果に大きく差が出るから、実際の運用で比べるべきだね
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